間違った管理の法則

第一法則
うまくいかないことがあったら、もっとやれ。

この法則が濫用されるようになったのは、才能を活かさずに管理しようとした結果である。
才能ある管理者は、こういうものには大体拒否反応を示す。
優れた感覚を持ち、自分のリーダーシップが部下に与える影響を常に適応し、最大限の効果を得るために絶えず焦点を修正し、絞り込んでいる。
うまく行かないことがあれば、それをやめてほかのことをしようとする。
こういう斎野の無い管理者は、管理の公式や「原則」に頼ろうとする。
「今やろうとしていることはうまく行くはず。うまく行っていないのは、一生懸命やっていないせいだろう」と考える。
そこで、今までやってきたことをさらにやる。

第一の法則は面白いし、確かに最悪の組織が失敗する理由の一部は、説明できるが、本質的に異常である。

そのため、基本的に能力があり、向上を目指して努力している管理者には、有効な指針とはならない。


第二法則
自分自身のユーティリティー・プレーヤーになれ

今日のストレス過剰でゆとりの無い組織には、このような傾向が特に顕著に見られる。
スタッフを削られ、切られ、減らされて、関節コストはスリムになり、全ての業務が超効率的になっている。
その結果、自分の下で何もかも取り仕切っていた人もいなくなってしまった。
他の部下は皆鬼のように忙しい。
これ以上仕事を増やして負担をかけたくない。
まして、上層部が重要性が低いと判断し、担当者を削ったような仕事をさせたくない。
しかし、そんな仕事でもやらねばならないことに変わりはない。
仕方ないと、その負担は自分で背負い込むことにする。
自分の部署で担当する人がいない仕事を自分でやるということは、その部署を管理するという仕事を、少なくとも部分的に放棄することである。
こんなことは管理者に言うまでもないはずだが、残念ながら言わねばならない。
「管理は大事である」
どうして管理者に向かって管理は大事などという必要があるのか。
管理者は多額の給与が支払われていながら、組織を適正に運営するために本当に必要なものではないなどと言われている。
時には余計なものだといわれている。
管理者は顧客から代金を受け取れるようなサービスを何もしていない、またはそのような製品を何も作っていない。
こうした仕事をしているのは、部下達である。
そのため、部下が仕事をしているところへ管理者が割り込むたびに、部下は一時的に収益を生み出す業務を中断させられる。
この中断は、長期的に見れば有益だろうが、短期的には気が散るだけ。
目先のことを考えれば、邪魔以外の何者でもない。
こうした話はどこにでもあるが、管理者がそれに耳を貸す必要はない。
自分の仕事をきちんとやるには、管理者がそれとは正反対の態度をとる必要がある。
管理はどうしても必要だと理解する必要がある。
管理は必要。
優れた管理は、健全な企業の体を流れる血潮である。
コスト削減のためにそれを排除するのは、生き血を与えて身を削るようなものである。

このおろかな第二法則を実行してしまうのは、管理がいかに大切かを忘れているからだけではない。
他にもはるかに重大な理由がある。
その1つは保身である。
ストレス過剰の組織で、管理をすることは危険である。
仕事をしていなければ、製品を作るなどの低レベルの仕事をしていなければ、安全ではない。
そこで、管理をするとしたら、パートタイム業務としてやる必要がある。
残りの時間は製品を作り、収益に貢献する。
収益に貢献していれば安全だ。
そうすれば、管理に費やした時間もさほどマイナスにはならないだろう。最小限に抑えていれば。
他に低レベルの仕事をする理由として、挑戦からの逃避がある。
確かに、誰でも良い意味でやりがいのある仕事は好きだが、だからと言って、時には怖気づいて逃げ出したくならないわけではない。
管理に伴う挑戦は恐ろしい。
人間関係、動機付け、社会形成、揉め事、紛争解決など、得体の知れない世界へ入っていくのである。

管理の仕事をしていると、一度は第二法則の誘惑に囚われる。
それを乗り越えるには、重要な真実と面と向かう必要がある。
管理は難しく、それはやるべき仕事が多いからではない(働きすぎている管理者は、ほぼ間違いなく、やるべきではない仕事をやっている)
管理者が難しいのは習得が難しい技能を必要とするから。
それらの技能を取得すれば、低レベルの仕事異常に、組織に影響を与えられるはずだ。
朝鮮から逃げても何にもならない。
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by shokunin_nin | 2011-01-20 22:51 | 仕事 | Comments(0)
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