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子育て6つのポイント

1.離乳食は1歳から

2.「おしゃぶり」を活用する

3.ハイハイは十分させ、いろいろなものを舌でなめさせる

4.眠る時は仰向け寝で

5.幼いうちは歩かせすぎない

6.冷たい飲み物は与えない
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by shokunin_nin | 2009-10-28 23:01 | 家族 | Comments(0)

時代は変わる

かつて、人々は銀行にお金を預けることさえ躊躇した。
だが、今は、ATMから出てくる紙幣を数える人も減っている。
機械が数え間違えることはないと、信用しているのだろう。

いろいろ変わっていく。

グーグルがメール・スケジュール管理など企業活動に必要なサービスを提供している。
自社でメールなどのシステムを開発、維持する必要がなくなる。
企業が情報をネットに預けるという行動も、似たような歴史をたどるはず。

情報を預けることの方が便利になり、セキュリティも保たれる。
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by shokunin_nin | 2009-10-27 23:13 | 仕事 | Comments(0)

住宅ローン

日本の新築住宅の多くは、購入した途端に、その価格価値が1割も2割も下がってしまう。
生涯賃金の数割もの巨額の長期ローンを組んで思い切って購入したのに、なぜそんなことになるのか。
日本では、ローン残高以下に市場価格が下がっても、ローンを最後まで返済するのは、自己破産しない限り、致し方ありません。
日本の場合、融資額は不動産価値よりも「借り手の収入」「勤務先」が重視され、その融資額が住宅価格の決定にも大きく影響している。
新築物件の場合、「将来、家を売却してもローン価格以上で売却できる」というマーケット価格ではなく、「借り手が借りられる額」の方に、物件価格が近づいてしまう。

日本の金融機関は、借り手の収入と契約時の勤務先さえ把握しておけば、その物件の価値の変化や減価を見ている必要はない。
住宅の資産価値が下がらないようにする努力が日本で欠けているのは、まさにこのことが原因。

日本では、集合住宅、戸建て住宅ともに、家を購入してひとたび名義が書き換えられたものは、中古物件となって大幅に価格が下がってしまう。
まして注文住宅などの個性的な家は、数年経つとほとんどが資産価値を失い、築後10年もすれば家を取り壊して更地にした方が、かえって高く売れるといったケースもある。

日本では住宅ローンを完済したら、住宅はすでに時代遅れの代物になり下がり、残存価値は無く土地価格で評価される。
このような状況では、住宅ローンの支払いのほかに将来に向けて預金するのは当然
で、一般の人々が安易に株や投資に動かないのは致し方ないのかもしれない。
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by shokunin_nin | 2009-10-24 00:04 | 資産運用 | Comments(0)

子育て(教育)の基本

楽しくやる、風のように。
そしてテストはしない。

大事なポイント
(1)5歳までの子どもは、膨大な量の情報を簡単に吸収できる。
4歳前ならさらに効率よく、3歳前ならもっと簡単に効率よく、2歳まであればきわめて簡単に効率よく吸収できる。
(2)5歳までの子どもは、驚くべき速さで情報を受け入れる。
(3)5歳までの間に吸収する情報が多ければ多いほど、後まで残る量も多くなる。
(4)5歳までの子どもは、猛烈な量のエネルギーを持っている。
(5)5歳までの子どもには、計り知れない学習意欲がある。
(6)5歳までの子どもは、読むことを学ぶことができ、読むことを学びたがっている。
(7)5歳までの子どもは、ひとつの言語を完全に覚え、教えられればなんか国語でも覚え、そして、話し言葉を覚えるように、何ヶ国語でも簡単に読めるようになる。

教える際のポイント
(1)子どもができるだけ小さいうちからはじめる
(2)いつも楽しく行う
(3)子どもの気持ちを尊重する
(4)親子ともに気分の良い時だけを選んで行う
(5)子どもがやめたいと思う前に切り上げる
(6)新しい教材を積極的に導入する
(7)一旦はじめたら、一貫して継続する
(8)注意深く教材を準備し、いつも子どもより先へ行くようにする
(9)安全確保の法則を頭に入れておく
(10)退屈さてはいけない

親がわが子に教えることを義務や責任と考えず(そう思っていると長続きしない)、純粋な喜びと感じるなら(理想的にはそうあるべき)、親も子も毎日が楽しくて仕方ない。
子どもと一緒に遊び、同時に学習する。

話し言葉であれ、書き言葉であれ、子どもたちは言葉について強い好奇心を持っている。
いかなる理由であれ、子どもある言葉に興味を示したなら、それを子どもの語彙に加える。
自分が選んだ言葉だから、子どもはすぐにらくらくと覚える。
子どもの質問には丁寧に答えてやる。
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by shokunin_nin | 2009-10-23 01:28 | 家族 | Comments(0)

「あいうえお」から教えない

「あいうえお」から教えない。

この問題はとても重要。
何を教えるにも、まず分かっているもの、具体的なものからはじめ、そこから新しい未知なものへと進み、最後に抽象的なものに入るというのが基本。
「あ」や「い」という文字ほど抽象的なものはない。
「あ」が「あ」である理由として、これ以上の理由はない。
子どもたちは、ひらがな48文字という視覚的な記号を覚えることができ、それを聴覚的な抽象概念と結びつけることもできる。
文字だけを個々に読み分けることは難しい。
人は「あ」を食べたり、「あ」を捕まえたり、「あ」を着たり、「あ」を開けたりしないから。
「りんご」なら食べられるし、「ボール」なら捕まえられ、「シャツ」なら着られ、「本」なら開ける。
「りんご」という単語を構成する文字は抽象的でも、りんごそのものは抽象的ではないから、「り」という文字を覚えるより「りんご」という単語を覚える方が簡単。
「りんご」という単語と「鼻」という単語の違いは、「あ」と「り」という文字の違いよりずっと大きい。
単語を読む方が文字を読むよりも楽にできる。
ひらがなは読み書きの単位ではない。
言葉の単位は単語。
文字は単に単語を構成する物理的な要素に過ぎない。

漢字について
視覚的に似ている「いす」と「いぬ」よりも、漢字の「椅子」と「犬」の方が区別しやすい。
子どもは、漢字、ひらがな、カタカナの区別を教わっていない限り、どれも同じように受け止め、吸収する。
ひらがなだけ、カタカナだけで書かれた分がどんなに読みにくいか。
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by shokunin_nin | 2009-10-22 01:04 | 家族 | Comments(0)

小さいうちから読むことを学ぶことがなぜ大切なのか

(1)2歳児、3歳児の多動は、実はあくまで知識に飢えている結果。
その受けを満たす機会がたとえ少しの時間でも与えられれば、もう少しおとなしくなり、危険から守ってやるのも楽になり、動き回って周りの世界とが自分について学習している間に、世の中についてずっと多くを学べ得るようになる。

(2)2、3歳の時ほど大きな情報吸収能力は、人生の中で二度と戻ってこない。

(3)読むことを教えるのはこの年齢が最も容易で、このような時期は二度とない。

(4)小さい時に読むことを教わった子どもは、学ぼうとする気持ちをそがれた子どもに比べ、ずっと多くの情報を吸収する。

(5)小さい時に読むことを学んだ子どもは、学ばなかった子どもより理解力がある。
読むことを学んだ子は、3歳でも意味を把握し抑揚をつけて読むことができるが、普通の7歳児は文としての意味を把握せずに単語を追うだけの読むことしかできない。

(6)小さい時に読むことを学んだ子どもは、学ばなかった子どもより早く読め、よく理解できる。
子どもは読むことを怖がらない。
子どもは世の中には学ぶべきすばらしいことが山ほどあり、読むこともそのひとつだと考えている。
子どもは細部にとらわれず読むことを完全に実用的な感覚で捕らえている。

(7)最後に、これは上の6つに負けず劣らず重要な理由だが、子どもは、小さい時に読むことを学ぶのが大好き。
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by shokunin_nin | 2009-10-20 00:32 | 家族 | Comments(0)

2009/10/18 早実 vs. 日大三

早 実 110 003 0 |  5
日大三 351 014 X | 14


投手:
鈴木(2回2/3):被安打8、四死球2、三振1
長坂(3回1/3):被安打3、四死球2、三振1
内田(1回):被安打3、四死球2

本塁打:真鍋
二塁打:小野田、渡辺

1(中)松井:三ゴロ、遊ゴロ、四球、三振
2(遊)真鍋:右本、二ゴロ、三ゴロ、三振
3(捕)土屋:二飛、右飛、中安、中飛
4(右)小野田:三振、遊ゴロ、左2
5(二)磯網:遊安、三振、投ゴロ
6(左)安田:三振、左飛、三振⇒(投)内田
7(一)渡辺:中飛、左飛、左2
8(投)鈴木:敵失⇒(投)長坂:遊ゴロ⇒(左)柿沼:中安
9(三)重信:三振、四球⇒(三)深澤:中飛

日大三高が強いのか、早実が弱いのか・・・。
この差は、夏までに埋められるかな。

背番号1は鈴木君、小野田君は背番号5でライト守っていました。
最後に投球練習はしていましたが。
ジャルキン君は登録されていませんでした。

次は準決勝で日大三と帝京。
事実上の決勝戦ですかね。
決勝で当たれば、両方選抜でられるだろうに。
もったいない。
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by shokunin_nin | 2009-10-18 20:10 | 早実/早大 | Comments(0)

コンピュータと子ども

生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ情報の入っていない空っぽのコンピュータのようなもの。
(ほとんどあらゆる面で赤ちゃんの方が優秀だが)

空っぽのコンピュータは、膨大な情報を即座にらくらくと受け入れる。
小さな子どもも同じ。

コンピューターは、与えられた情報を分類して記憶することができる。
子どもも同じ。

コンピュータはそのような情報を、永久保存あるいは一時保存に分けて記憶することができる。
子どもも同じ。

コンピュータに、こちらからの質問の基礎となる基本的情報を入力しないまま、正確なことたえを期待することができない。
子どもも同じ。

コンピュータに、正確であろうがなかろうが、入力された情報は全て受け入れる。
子どもも同じ。

コンピュータは、適切な形で入力された情報は拒否しない。
子どもも同じ。

コンピュータに不正確な情報が入力されると、それに基づいて出てくる答えも不正確になる。
子どもも同じ。

両者が似ているのはここまで。

コンピュータは、不正確な情報が入力された場合、それを消去してプログラムしなおすことができる。
子どもはそうは行かない。
永久保存として子どもの脳に入る基礎的情報には、2つ限界がある。
1つは、6歳までの間に脳に間違った情報が入ると、消去するのが極めて難しいこと。
もう1つは、6歳を過ぎると、それまでより新しい情報の吸収に時間がかかり、はるかに難しくなるということ。
6歳までに子どもの能に入ったものは、たぶん生涯消えない。
だから親たちは、良いもの、正しいものを送り込むように、全力を尽くす必要がある。
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by shokunin_nin | 2009-10-17 23:05 | 家族 | Comments(0)

「学習」と「教育」

辞書によれば、
「学習」とは、勉強、指導、経験などを通して知識や技術を習得すること、
「教育」とは、(1)教師、指導者、学校の働きによって、資質や能力を伸ばすこと、(2)教育を施すこと、学校に行かせること、
とある。

「学習」とは一般的に、知識を習得する個人の中で起きるプロセスを指し、「教育」は教師や学校の指導のもとに行われる学習プロセスを指す。
この2つのプロセスは混同されることが多い。
学校教育が7歳から始まるので、それより重要な「学習」のプロセスも7歳から始まると思いがち。
実際には、子どもは生まれた瞬間から学習を始める。
そして、7歳で学校に入る頃には、膨大な量の情報を吸収している。
その量はおそらく、その後の人生で学ぶ以上かもしれない。
7歳までに、子どもは自分と家族についての基本的な事実をほとんど身につける。
近所の人たちについて、その人たちと自分の関係、自分の世界のこと、その世界と自分との関係、その他文字通り数え切れないほどの事実を学んでしまう。
一番重要なのは、少なくともひとつ、場合によってはひとつ以上の言語を完全に学び取ること。
(7歳を過ぎると、他の言語を完全に習得することはきわめて難しくなる)

その全てが学校に入る以前に起こる。
親たち大人が邪魔さえしなければ、子どもの学習プロセスは目覚しい速度で進む。
親たちが褒めたり励ましたりすれば、その速度は信じられないほどになる。
子どもの体の中に、限りない学習意欲を燃え立たせている。
子どもを完全に抹殺する以外に、この意欲の火を消し去る方法はない。
与えられる経験が制限されれば、子どもの学習意欲はそがれる。
不幸なことに、子どもの学習能力が極めて過小評価されているため、世界のどこでもそのような事態が見られる。
物理的制約を取り除いてやるだけで、子どもは目覚しい勢いで学んでいく。
子どものすばらしい学習能力を親たちが認識し、無限の機会を与え、同時に子どもを励ましてやれば、その子の吸収する知識は何倍にも増える。
赤ちゃんが「あらゆることを、できるだけ早く学びたい」とはっきり意思表示しているのに、大人がその学習意欲をあまり尊重していない。
子どもの人生の中で学習意欲が最大限に高まる時期に、大人は巧みに彼らを学習から引き離す。
人間の脳は、中身を入れれば入れるほど、容量が増える唯一の入れ物。
生後9ヶ月から4歳までのこともの情報吸収能力は比類がなく、この時期ほど学習意欲が高くなることはその後ない。
ところがこの時期に親たちは子どもを清潔にし、たっぷり食事を与え、周りの世界から守り、学習の真空地帯の中で育てる。
皮肉なことに、親たちは子どもが大きくなってから「勉強しないとはなんて馬鹿なんだ」と繰り返し嘆くようになる。
「学ぶことは人生で一番大切なことなのに」と。

子どもは本来学ぶことが嫌いだと大人が思いがちなのは、たいていの子どもは学校を嫌い、軽蔑してきたから。
教育と学習とが取り違えられている。
学校では子どもがみんな学んでいるとは限らない。
子どもがみんな全てを学校から学ぶわけではない。
子どもは遊びと区別できないほど学習をしたがっている。
子どもは大人が学習は楽しいものではないと信じ込ませない限り、このような姿勢を持ち続ける。
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by shokunin_nin | 2009-10-16 23:24 | 家族 | Comments(1)

家庭教育の重要性

家庭教育というものは、夫婦が同じ方向で子どもを育てようとしない限りうまくいかない。
どんな子どもに育てるのか、どんな教育をするのか、しっかりと話し合うことが必要。
子どもが生まれえる前から夫婦で相談しておくことが大切。
いくら父親が外で働いているといっても、わが子を立派に育てる責任は、母親と半分ずつ持たなくてはならない。
よく話し合って、両親が納得した上で育てることが大切。
どんなに忙しい父親でも、子どもの教育というのは楽しいはず。
子どもと遊ぶということは気分転換にもなる。
父親の役割も以上に大きい。
無関心であっては困るし、ましてや子どもの教育に対する考え方が母親と反対というのでは困る。
教育の「教」という時の右側には「父」という文字が使われている。
昔は、父親は外に働きに行くのではなく、家の中で仕事をしていた。
子どもは、父親の仕事を見て育った。
父親のやり方を真似する。
真似することを「真似ぶ」と言った。
この「真似ぶ」という言葉が「学ぶ」に変化した。
本来は真似ることを意味していた。
誰の真似をするのかというと、父親。
真似をした時に、指導助言をするのが父親の仕事。
これが教えるということ。
教育の本質は父と子が交わること。
一緒にいることが教育の原点。
子どもが自主的に父親の真似をする、これが「学ぶ」の始まり。
学ぶ時には、当然のことながら父親が指導助言する。
それが独立して「教」という字になる。
漢字の成り立ちから調べていくと、「教」と「学」は全く同じ。
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by shokunin_nin | 2009-10-16 01:33 | 家族 | Comments(0)