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退職しました

会社辞めました。

8年9か月働いた会社を12月末で退職しました。
長いようで短いような、あっという間に30歳、という感じです。

忘年会シーズンということもあって、いろんな人にたくさん送別して頂きました。
ありがとうございました。
3度も胴上げしてもらいました。

良いことも、悪いことも、大変なことも、デスマーチだったり、クソゲーだったりしたこともありましたが、すべてが良い経験、出会いだったと思います。
というほど実感がありませんが。

今後もよろしくお願いします。

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by shokunin_nin | 2010-12-29 16:11 | 日記

時間外労働

時間外労働のパターンとして一般的なのは、次のようなケースである。
月曜から金曜までは10時間か11時間働き、加えて週末もかなりの時間働き、合計すると週に60数時間になる。
この場合、毎晩普通に睡眠時間は取れる。
会社に余分な時間をささげたために犠牲になるのは、個人の生活である。
この場合の問題は、個人の生活からかかるプレッシャーの増大である。
結婚生活にひずみが生じ、子供の行動はあれ、やがて使われているという感覚が生まれる。
企業文化は問題を隠すように求めるが、隠しても存在するものは存在する。
労働時間の目減り、非効率な時間のすごし方、品質の低下といった形で損害が表れ、そのうち人々はあきらめてもっと気の聞いた仕事を探し始める。
この損害は、その従業員が時間外労働をしたことによるプラス効果を下回るか。
もし下回るなら、いくらコストがかかろうと、ダラダラと時間外労働をさせたほうが、トータルでは組織にとって得であり、時間外労働をさせた管理者は優秀ということになる。
管理がそれほど簡単なものであればの話。
ところがそうは行かない。

ダラダラと時間外労働をさせることは、生産性を低下させる方法である。
1時間ごとの作業効果を低下させる。
知識労働者の作業量をもっとも正確に予測するには、作業時間ではなく、作業日数を使う必要がある。
1日24時間働いても、1日8時間より多くの仕事はできない。
時間外労働はごまかしに過ぎない。
大抵の企業は、知識労働者には時間外の賃金を支払わないため、時間外労働によって得られる利益があれば、それはコストのかからない利益ということになる。
これでは、ただより高いものは無いという格言はうそということになる。
確かにただより高いものは無いのである。
時間外労働が追加時間分の効果を打ち消すほどの悪影響を持つ理由は4つある。
ダラダラと時間外労働をした場合、必ず次のような影響がある。

・品質の低下
・人材の燃え尽き
・離職率の上昇
・通常の勤務時間における非効率的な時間の使い方

知識労働は労働集約型の労働である。
新しい知識労働者の採用を検討するときには、候補者の思考の質がきわめて重要であることを暗に認めている。
優秀な人材が、差ほどでもない人材よりはるかに価値があるのはそのためである。
ただ、1日のうちに思考の質を高めたり落としたりする要因については、簡単には理解できない。
中でも最大の要因は疲労である。
たとえば、ほとんどの知識労働者は、ミスをしやすい仕事は遅い時間にはやるべきではないという。
そのような仕事ができるほど思考が明瞭ではなくなることが分かっているから。
それが分かっていながら、ミスをしやすい仕事をすることも多い(疲労が戦術だけでなく戦略的判断にも影響を及ぼす証拠だろう)

燃え尽きた労働者は、何もする気にはならない。
1日8時間の労働さえも。
もはや仕事とは無縁の世界にいる。
何かする余力が残っているとしたら、燃えつきを隠すために、あるいは少なくともそのような努力をするために使う。
実質的な仕事は何もできない。
ストレスのかかりすぎたプロジェクトを見ると、メンバーの中にあまりにもこのゾンビが多い。
淡々と仕事はしているが、もはや貢献はしていない。
そのような人は、その企業の元スターであることが多い。
燃え尽きた労働者は、大抵は会社をやめるが、全員がそうするとは限らない。
ゾンビになって会社に残る場合もある。
メンバーの大半がゾンビになれば、次第に重苦しくよどんだ空気が漂うようになる。

ほとんどの企業は、人座への投資を資本とは考えないため、離職によって失った人的資本のコストに気づかない。
時間外労働をさせても離職率に影響は無いなどという安楽な幻想にしがみついてはいけない。
企業が退職する社員を面接すると、退職理由として時間外労働が挙げられることが多い。
使われているという感覚が強まり、仮定へのプレッシャーが増して生活の微妙なバランスが崩れてくると、やめることを考えずにいられなくなる。

これらは、時間外労働の大企業では、通常の勤務時間が浪費される、というコストに比べればたいした問題ではない。
時間外労働が週に30~40時間にもなると、日中の時間の無駄を減らすという管理者の衛生行動は、どういうわけか停止する。

会議を大きくしすぎる文化は、社員が仕事を終えるために長く時間外労働をしなければ実現しない。
時間外労働を削れば、健全化への第一歩になる。
まず会議を減らし、次に会議の出席者を、その会議の目的である決定に必要なメンバーだけに絞り込む必要がある。
会議は、時間外労働企業が貴重な人材をを無駄にする方法の1つに過ぎない。
もう1つは、日中の時間帯、仕事の邪魔をすることを何とも思わなくなること。
同僚が夜遅くまで仕事をすることが分かっているため、「通常」の勤務時間に平気で仕事の邪魔をする。
その結果、誰も9時から5時の間には仕事が終わらず、時間外労働が増える傾向にある。
真夜中イに会社にいる哀れな社員は、正規の終業時間の後、多少は静かになって実質的な仕事が少し進むことを期待して、自分の机に残っていたのだろう。
組織が、通常の勤務時間中に邪魔と騒音の少ない環境を労働者に与えられないのは残念なことである。
by shokunin_nin | 2010-12-28 00:07 | 仕事

リスターの法則

人間は時間的なプレッシャーをいくらかけられても、早くは考えられない。

考える速さは決まっている。
何をしようとどんなに頑張ろうと、考える速さは上げられない。

頭脳による識別(知識労働者の基本要素)の速度は変えられないため、プレッシャーに対応する潜在能力も極めて限られている。
労働者にできるのは次のことだけ。

・無駄な時間をなくす
・クリティカルパスに無い仕事を後回しにする
・夜遅くまで仕事をする

仕事のペースが上がらないのは残念だが、それが無理なら、プレッシャーに対するこの3つの対応方法は全て建設的ではないか、と考えるかもしれない。
例えば、無駄を減らすことに反対する人はいるだろうか。
しかし、これらの行動の方向性は正しいにしても、その程度は限られている。
知識労働者で構成される健全な組織では、いずれにしても従業員はあまり時間を無駄にしない。
時間の無駄は、管理者だけでなく、労働者自身にとっても敵だから。
労働者は時間の無駄を楽しむことはなく、むしろ不満に思うことが多い。
プレッシャーが全くかかっていない状況でもあまり時間を無駄にしていないとしたら、プレッシャーをかけたところで、たいした改善は見られない。
同様に、人は間違った順序で仕事をすることは少ない。
知識労働者は仕事を完成することによって満足感を得られ、有意義な達成感を得たいという動機から、自然とクリティカルパスへ向かう傾向があるから。
多少のプレッシャーをかければ、わずかに無駄な時間が減り、わずかにクリティカルパスへの集中度が高まるかもしれない。
しかし、夜遅くまで仕事をするとなると、別の問題である。
この方法は、短期的には確かに目覚しい効果を上げる。
例えば、1日だけ深夜まで仕事をすれば、その日の仕事量は、普段の日の仕事量2倍になることもありうる。しかし、翌日も、良く翌日も夜遅くまで仕事をした場合、同じことを実現できる可能性は低い。
どのような場合であれ、以下に熱心な労働者でも、数ヶ月に渡って、パフォーマンス向上を達成できるほどの超過勤務を続けることはできない。
1日はそれほどの時間はないし、家庭や個人の生活の面でプレッシャーが高まり、すぐに適正なバランスに修正されるから。
by shokunin_nin | 2010-12-27 23:25 | 仕事

プレッシャーの代償

急がせる組織には、常にプレッシャーがかかっている。
管理者は、意識的に出あれ無意識にであれ、このプレッシャーに貢献していることは間違いない。
自分自身に膨大なプレッシャーがかかっているのだから、それを下の階層の人々に伝えて何がいけないというのだ。
また、プレッシャーを受け入れ、その中でかんばっていることを見せることによって、他の管理者にもさらにプレッシャーをかけている。
他の管理者も、課題に対して積極的ではないと思われるわけにはいかない。
部下にプレッシャーをかける方法は何通りもあり、その中にははっきりそれとわかる方法もあれば、目に見えない方法もある。
例えば、次のような方法がある。

・納期について圧力をかける(強気のスケジュール)
・仕事量を増やす
・時間外労働を奨励する
・失望した時の怒る
・一人の部下の並外れた努力に注目し、それを他の部下の前で褒める
・優秀な業績を上げなければ厳しい態度を取る
・全ての部下に大きな期待をかける
・時間の無駄と思われることをののしる
・自分が見本になる(上司がこれだけ頑張っているのだから、他の人もいい加減な仕事はやっていられないに違いない)
・望ましい行動や結果を奨励するためのインセンティブを作る

知識労働者に対する報奨制度には、管理の仕方が分からない管理者の哀れを感じる。
まず何よりも、インセンティブは大抵取るに足らないもの。
「納期に間に合ったチームは全員、旅行などの商品と交換できる5000アドバンテージ・マイルを獲得できます」
ああ、そうですか。
もし、賞品が数億円の現金で、プロジェクトを予定より早く完成した6人でそれを分けられるなら話は別だろう。
しかし、アドバンテージ・マイルだとか、記念プレートだとか、表彰状だとか、今月の優秀社員、今月の優秀チームといった中身のない賞がなんになるだろう。
もう少し真面目に考えろと言いたい。
こんなインセンティブでは、対象とする従業員の行動を何一つ変えることはできない。
しかし、「管理者は全員に急いでほしいと考えている」という明確なメッセージを伝えることによって、プレッシャーを増すことになる。
ちょっと待った。
プレッシャーが増して、行動が変わらないなどということがあるのか。
そんなことがありうるのか。
ところがありうる。
プレッシャーを高めるために何をしても、人の行動が有意義な方向に変わることはない。

プレッシャーは管理者の声ではなく、企業文化が管理者を通じて語っている。
組織の間では、プレッシャーを増せばパオー万巣が向上し、最大限のプレッシャーをかけなければ最大限のパフォーマンスは得られないという考えが常識になりつつある。
この発想は、深く文化に組み込まれているが、現実に検証するとその通りにはならない。
by shokunin_nin | 2010-12-26 23:45 | 仕事

人的資本

健全な知識企業は、人材を維持する。
確かに、優秀な人材を維持するのが重要であることは既にわかっているだろう。
こうした重要な人材を一人でも失えば、プロジェクト全体や1年分の業績が危機的な状況に陥ることもある。
重要なのは優秀な人材だけではない。
全員が大事。
全員に能力があるとか、誰も異動やクビにしたり、転職を勧めるべきではないといっているのではない。
誰かが自分の都合でやめるたびに、組織は損害をこうむる。

知識労働者は代替可能ではない。
人材はうまく分割できない、色々な仕事を担当して、日ごと、時間ごとにあれこれ切り替えることができない。
この理由の1つは、知識労働者が仕事につぎ込む重要な能力の1つに、「専門分野の知識」があること。
その人が設計者であれ、製品管理者であれ、プログラマであれ、コンサルタントであれ、何であれ、第一に特定の技能を、第二にその技能が使われる分野に関する系統だった知識を持っている。
その専門分野の知識が重要であるほど、その人は代替不可能である。
いくつも似分割できないだけでなく、ためた場合に簡単に代わりを見つけることもできない。
専門分野の知識に関する正しい考え方は、その従業員に対する組織の投資によって生まれた企業の資本資産であり、知識労働者の頭脳に対する投資であるというもの。
その人がやめれば、資産はなくなる。
この人的資本を厳密に会計処理すると、人材が一人やめるたびに莫大な損失を計上しなければならない。
by shokunin_nin | 2010-12-22 00:02 | 仕事

学資保険

学資保険とは簡単に言えば、子供の教育費を貯めるための積立型の保険のこと。
子供の将来の教育資金のために、決められた保険料を支払えば、子供の成長とともに学校入学時には祝い金(進学学資金・学資祝金)や、満期時には満期保険金(満期学資金・満期祝金)を受け取ることができる。
昨今では学資保険不要論が多く聞かれるが、いい学資保険を選び賢く利用すれば、メリットはまだまだある。

学資保険の主なメリットは次の3点。
1.半強制的に教育資金を作ることができる。
2.保険契約者(父など)に死亡・高度障害等万が一のことがあれば、それ以降の保険料の払い込みが免除されるが、満期保険金等は契約時のまま受け取ることができる(保険料払込免除条項付)。
3.銀行に預けるよりは少し利子が高い(貯蓄型の学資保険)。
学資保険は保険期間が短いので(子供の教育費積み立てが目標ですから当然)、なるべく早く加入するようにしましょう。
学資保険は、早く加入すればするほど月々の保険料が少なくて済むので毎月の負担が軽くなるし、返戻率(保険料総額に対する受け取れる祝い金と満期保険金の合計額の割合)も高くなるのでお得。
多くの学資保険は、子供が誕生する前に(出産予定日の140日前から)加入できる。
できれば妊娠中に学資保険の加入を検討し、加入するなら子供が0歳時に契約する。
ただし、親(保険契約者)が高齢な場合、学資保険に加入できないこともありますのでご注意を。
また、学資保険は保険会社によって保障内容や特徴が異なるので、それぞれの学資保険の内容を比較検討してよりよいものを選択し、無駄な保険料を支払わないようにすることも大切。

学資保険には大きく分けて貯蓄型と保障型の2タイプがある。
貯蓄型の学資保険とは、単純に言えば教育資金を積み立てるだけで、子供の医療保障や育英(養育)年金などが付いていない学資保険のこと。
貯蓄型なら、祝い金(進学学資金・学資祝金)と満期保険金(満期学資金・満期祝金)を合計した受取総額が支払い総保険料を下回ることはまずなく、それでいて親がもしもの場合の保険料払込免除条項のような、預貯金にはないメリットがある。
保障型の学資保険とは、子供の医療保障や育英(養育)年金などの保障が付加された学資保険のこと。
育英年金とは、親(保険契約者)に死亡・高度障害など万が一のことがあったら、満期になるまでの間、子の養育のための所定の年金が受け取れるというもの。
保証型の学資保険は、貯蓄型に比べて多くの保障が付いていて手厚い保険に思えますが、これらの保障のための保険料が付加されていますので、保険期間中に何も無ければ、受取総額(祝い金・満期保険金)が支払った保険料の総額を下回ってしまう(逆ザヤになる)のが通常。
子供の医療保障や育英年金などは、学資を積み立てるという目的とは本来関係ないもの。
そういうわけで、子供の教育費を作るという目的だけで学資保険に入ろうとするなら、貯蓄型の学資保険を選択する。
なお、一般的な家庭が学資保険で貯めることができるのは大体200~300万円ぐらい。
学資保険はあくまで教育費の一部、特に大学の入学時の費用(入学金+学費)を賄うためなど、目標を絞って活用するのがいい。


学資保険は戻り率が悪い。
プロの裏ワザがある。
それは、学資保険の代わりに終身保険!
子供の教育費を作るために活用できる保険は学資保険だけではない。
「学資保険」という商品名でなくても、学資用に使える保険がある。
例えば、こんな保険。
・保険料の払込期間が10 年。
・払込期間満了時点で積立利率1.75%。さらに今後金利が上昇する場合は、積立利率も一定の条件の下、上昇する。
保険としては「終身保険」だが、学資資金を貯めるため、万一の際の保障を確保するためには最適な保険。
ただし、使い方によっては他保険と比べ、不利になってしまうこともある。
払込期間の途中で解約した場合、解約返戻金として戻る割合が低い。
それもそのはず、「学資保険」の被保険者は、お父さんと子ども。
お子さまや、お父さんに万が一のことがあれば、お子様は死亡保険金をお父様のばあいは、保険料払込免除となって18歳時に満期金や育英金を受け取ることに。
つまりダブルで生命保険料がかかるわけ。
おまけに、こどもの医療保険もついているので、元本割れも仕方がない。
そもそも子どもの教育資金の捻出のために「学資保険」に加入するが、もし、お父さんに万が一のことがあると、お子さんは大学に通うことも経済的に難しくなる。(母子家庭の平均年収は200万円)
だから、学資保険は、貯蓄目的と、お父さんに万が一の場合の大学資金の確保が目的・・・・
子どもの万が一のための生命保険金は目的外。
だったら、お父さんのみに、生命保険を用意ししかも学資保険のように、15年~18年など短い期間で保険料の払込を終わらせ、子どもの大学の費用に備えればいい。
そのために、お父さんに「終身保険」を保険料払込を15~18年で設計し加入すると今、いろいろな終身保険がありますが、元本割れはまずない。

貯金は、お父さんに万が一のときに、積み立てていたお金のみが、遺族の手元に残る。
積立ていた期間が短いと、たとえば、1回だけ1万円積立して万が一のときは当然、1万円がご遺族の手元に。
これでは、子どもの大学への進学は無理。
一方、生命保険は、たった1回だけ、1万円保険料を支払っただけだが、万が一のときは、仮にその生命保険金が500万だとすると、お子さまの教育資金がそれでまかなえる。
だから、貯蓄と生命保険を同時に用意できるプランとして、お父さんのみに、支払い期間の短い終身保険を用意することも生命保険の有益な使い方。
by shokunin_nin | 2010-12-21 00:36 | 資産運用

ビジーネス(忙しさ)よりビジネスを

ゆとりをうまく組み込むことによる効用を簡単にまとめると、次の点が上げられる。
・柔軟性。組織を継続的に変革していく余地がある。
・人材を維持しやすくなる。
・投資する余地が増える。
これらは要するに、二次的な効果である。
最大の効用は、対応が速くなること。
しかし、環境の変化に直面した時の組織の敏捷性という点では、この3つは重要。

変化への対応能力の重要性
変化は挑戦であり、本物かどうか試される機会。
変化する環境にできる限り迅速に対応するために努力する。
変化をとらえ、順応し、適応し、調整する。

変化する能力は重要である。
よいものには大抵金がかかるが、これもそう。
どれぐらいかかるのか。
今仕事で命いっぱい忙しい人たちの時間とエネルギーのかなりの部分。
それだけ。

変化は投資である。
変化に投資するには、その2つの重要な要素、概念化(設計ともいう)と実現のために金を払う。
この仕事は、普通、変化のスペシャリストなどというエリート達にはできない。
変化しようという人々自身が変化する必要がある。
その理由は、それほど複雑ではない。
変化は特別なことではない。
変化のスペシャリストが取り組んだときにしか変化が起きないとしたら、組織の死は近い。
変化する能力は、組織に有機的に組み込まれている必要がある。
変化はいつでも、あらゆる場所で進行していなければならない。
全ての人が変わっていく必要がある。
そのためには、全ての人に、変化に対応するための余裕が必要である。
これは、自分お仕事が全体の中でどのように機能するのか、どのように機能するべきなのかを考え直すために費やす時間である。
変化が始まったら、新しい方法を実践し、新しい技能を実につけ始めるために、さらに時間が必要である。
これがコストである。
メリットは、活力が増し、未来をしっかりつかめることである。

ゆとりは変化に投資する手段である。
ゆとりは、長期的な健全性のために犠牲にする業務能力である。
by shokunin_nin | 2010-12-20 00:17 | 仕事

「急げ」というと遅くなる

組織は効率にこだわり、忙しくしようとするあまり、敏捷性と実質的効果を犠牲にすることがある。
こなると、ほとんどの場合、リストラや企業の「改善」努力が悪い結果招くことがある。
したがって、そのような組織は「改善しすぎ」ている。

「急げ」が実は「ゆっくりやれ」を意味している場合がある。

仕事は常に一定ではないため、ある程度の非効率性が伴う。
現代の組織は、仕事が相互に結びついた巨大なネットワークである。
このネットワークのノードにあたるのが、一人ひとりの労働者。
各ノードをつなぐのは、人から人へと渡される進行中の仕事。
各人の書類受けに仕事がたまっていく人もいれば、前の方から仕事がわたってくるまでに時間がかかり、仕事が足りなくなる人も出てくる。

「急げ」が「忙しくしていろ」という意味にも解釈できる。
周りが狂ったように働いているときに、書類受けの最後の仕事を片付け、誰かから次の仕事が送られてくるのをじっと待っていては、安心できない。
遊んでいるように見られては、クビが危うくなると考えてしまう。
このように書類受けが空になりそうな時に思いつく生き残り戦術は、ゆっくり仕事をすることである。
常に一定の仕事が手元にあるように仕事のスピードを緩める。
それ以上遅くなると、ボトルネックと見られ、管理者から仕事の速度に目をつけられてしまう。
そこで、それほど遅くはしない。
適当なところまでスピードを緩める。
これで、100%忙しくなり、書類受けには適当な量の仕事がたまって、ボトルネックにもならない。
これは、クビをつなぎとめるための処方箋である。
「急げ」と要求する組織を円滑に機能させているという点で、理想的な従業員となる。

これが、「急げ」を繰り返し、忙しさを重視すると、人々の仕事が惜しくなる理由。
by shokunin_nin | 2010-12-19 10:29 | 仕事

仕事の切り替えにともなうロス

仕事を切り替えるときにはロスが発生する。
このロスはどの仕事にも生産的に使われない。
ただのムダ。

仕事には作業に没頭しなければ進まない種類のものがある。
例えばプログラミングなどの仕事はこの分野に当たる。
ある種の精神不活発状態を克服するには没頭する時間が必要である。
たいていの人は、まとまった時間がなければ、越した仕事に取り掛かりたいとは思わない。
没頭を必要とする仕事が中断されると、再開するには2回目の没頭時間が必要である。
頻繁に中断される場合には、フラストレーションも関係してくるだろう。
フラストレーションのたまった労働者は、気持ちを静め、作業を再開したときにさらにフラストレーションが高まる可能性に備えるために、ある程度のエネルギーと時間を必要とする。
2つの作業を時分割で手がけた時のムダは、機械的な切り替え作業に伴うロスと、再開時に必要な繰り返しの作業と、没頭に必要な時間とフラストレーションのコストの合計。
これらのロスは切り替えのたびに生じる。


過去数年の企業リストラの主流は、人員を削減し、その仕事を残った人材で分担するというもの。
これによって、労働者の細分化が大幅に進んできた。
このようなリストラ戦術に意味があるのは、仕事の切り替えによるロスが、節約できるコストより小さい場合のみである。
実際は、ロスが実質的にゼロで無ければ意味が無い。
しかし、そのようなことはない。

仕事の切り替えに伴う隠れたロスが細分化されすぎた組織の資源を食い潰している限り、それで節約できたと思うのは幻想である。
知識労働者を分割すれば、忙しく見えるかもしれないが、その忙しさの大部分は、仕事を次から次へと切り替えることによる中身の無い作業である。

さらに悪いことに、誰をやめさせて誰を残すかというけっけいは、普通、能力評価に基づいて行われる。
しかし、仕事の能力は抽象的に評価できるものではない。
Aさんは全般的に能力の高い労働者だ、などと言うことはできない。
Aさんはある仕事では優秀だということが分かった、と言えるだけである。
細分化の結果、その仕事をする時間が減り、あまり得意ではないほかの仕事をする時間が増えるかもしれない。
仕事の切り替えに伴うロスが無くても、全体的な能力は低下することになる。

知識労働者は代替可能ではない。
代替可能なもののように扱えば、忙しさは増すが、意味のある仕事をすることが難しくなる。
by shokunin_nin | 2010-12-17 23:21 | 仕事

ゆとりと仕事のスピード

現代の組織は、仕事が相互に結びついた巨大なネットワークである。
このネットワークのノードにあたるのが、一人ひとりの労働者。
各ノードをつなぐのは、人から人へと渡される進行中の仕事。

実際問題として、各従業員の机に何らかの一時置き場が無ければ、組織の全従業員が常に100%忙しいということはありえない。
つまり、仕事をためておく書類受けか何かが必要。
それぞれの机に十分な一時置き場があれば、全員が常に忙しくなるように仕事の流れを作ることができる。
この方法は最大限の効率を達成できるが、その副作用として、仕事が組織の中で処理されるのにかかる時間が必然的に長くなる。
仕事の視点で考えてみる。
仕事がネットワーク全体を移動するのにかかる時間は、誰かの書類受けの中で止まるたびに増えていく。
仕事が机に到着した時に、従業員の手が空いていれば、待ち時間は無く、全体の移動時間は短くなる。
しかし、手が空いているということは、少なくとも非常率な部分があることを意味する。
そのような部分は、効率プログラムによって組織から排除しているはず。

1日の中からあらゆるゆとりを排除し、労働者を効率よく使うと、対応の早さを犠牲にすることになり、組織の動きが鈍くなる。
組織の質を高めずに、効率だけを高めることは可能である、
ゆとりを排除すると、そのようなことになる。
また、組織の効率を落とし、大幅に質を高めることも可能である。
それには、組織が一息つき、自己再生し、必要な変化を起こせるだけのゆとりを取り戻す必要がある、
by shokunin_nin | 2010-12-15 00:23 | 仕事